エスカレーター 作・中野 守(中野劇団) 登場人物  先輩サラリーマン  後輩サラリーマン      薄暗い中で、二人のサラリーマンが横になっている。 先輩  ふん!      天板をこじ開けようとする先輩。どんなに力を込めようと      開かない。 先輩  くそ。何で開かないんだよ。 後輩  無駄ですよ。外からじゃないと開けられないんです。 先輩  すいません! 誰かいませんか!      反響する声。反応なし。 後輩  いませんって。 先輩  すいません! 助けて下さい! 後輩  無駄ですよ先輩。こんな時間に誰もいるわけないじゃないで     すか。 先輩  何で…。 後輩  完全に閉じこめられましたね…。 先輩  閉じ込められてるって、何で? エスカレーターだぞ。      ふたりはエスカレーターの乗り降りする部分の内部に閉じ      込められている。 後輩  ねえ。 先輩  普通、エレベーターだろ。 後輩  まあ。 先輩  何で? 後輩  覚えてないんですか? 先輩  全然覚えてない。誰がこんなこと…。 後輩  僕達、自分で入ったんですよ。 先輩  何で? 後輩  …。 先輩  何でエスカレーターに自分から入ったんだよ。 後輩  その、たぶん、勢いで。 先輩  何で? え? 何で? どうやって? 後輩  ホントどうやって入ったんでしょうね。自分で入ったことだ     けは覚えてるんですけど。結構飲みましたね。 先輩  ありえないだろ。こんな狭、痛!(手をぶつける) 後輩  ねえ。世の中には不思議なことがあるもんですね。 先輩  どっちかと言うと不思議なのは俺らの方だと思うけど。 後輩  明日の朝までこのままですかね。もう今日か。 先輩  (溜息)みんな何処行ったんだよ。 後輩  もう帰ってるでしょう。流石に。 先輩  俺らが、こんなことになってるとも知らずに、今頃布団の中     で気楽に眠ってんのかな…。 後輩  でしょうね。酔いすぎましたね。 先輩  やばいよ。 後輩  ねえ。 先輩  トイレ。 後輩  ええ? 先輩  飲むんじゃなかった。こうなるってわかってたらセーブした     のに。…なあ、何時? 後輩  携帯、鞄の中なんで。 先輩  鞄は? 後輩  何処でしょう。 先輩  え? 後輩  さっきから探してるんですけど。店出るとき、持ってまし     た? 先輩  店を出た記憶がないから。 後輩  はあ。 先輩  酒って怖いなあ。蓋、自分で閉めたのかな。 後輩  酒入ると意味もなく強気になったりしますからねえ。 先輩  おまえ特にそういうとこあるよな。 後輩  吉川さんのスカート捲ったり。 先輩  最低だよ。 後輩  何で捲ったんですか。 先輩  俺? ええ? 俺、そんなことしてた? 後輩  しかもパンツ見て三〇点とか叫んでました。 先輩  凹む…。吉川さん怒ってた? 後輩  笑ってました。 先輩  そっか。 後輩  目以外は。 先輩  駄目じゃん。 後輩  一応フォローしておきましたから。 先輩  そっか。やばいな、俺。 後輩  ねえ。駄目ですよ。孫のいる人のスカート捲っちゃ。 先輩  なあ。で、何てフォローしてくれたの。 後輩  三〇点満点ですよって。 先輩  何だそのフォロー。うわもう、ただでさえ嫌われてるのに。 後輩  自覚あったんですか。 先輩  吉川さんの入れるお茶、俺のだけ雑巾の臭いするもん。 後輩  まあ、それよりこの状況ですよ。 先輩  何でエスカレーターの中にいるわけ? 後輩  そういえば異様にテンション高かったですよねえ。店出ると     き、みんなでこれから何かやろうって言ってませんでした? 先輩  言ってた? 後輩  ええ。何かやろうって。それで移動しようって。 先輩  何を? 後輩  何だったっけな…。何かの話題から。 先輩  野球だ。 後輩  あ、そうですよ。野球しようってことになったんですよ。 先輩  あ、何か思い出してきた。近くに夜中まで照明ついてるとこ     があるからって。      間。 先輩  で、何でエスカレーターの中にいるわけ? 後輩  さあ。      間。 先輩  これ、天板ふたりで思いっきり蹴り上げて外れないかなあ。 後輩  蹴るんですか? ちょっと待って下さい。背中が。よい     しょ。 先輩  痛たたた。手を踏んでると思う! 手を踏んでると思う! 後輩  すいません。 先輩  行くぞ。 後輩  何処蹴るんですか? 先輩  この辺が天板だと思うから、これ足? 後輩  はい。 先輩  何でおまえズボン履いてないんだよ。 後輩  あ、ホントだ。 先輩  何で? 後輩  わ、全然気づかなかった。さっきからずっと指でスネ毛クリ     クリしてたのに。 先輩  何なんだよ。ったく。鞄はないわ、ズボンはないわ。じゃ     あ、この辺蹴って。靴は? 後輩  履いてます。 先輩  じゃあいい? いちにの。 二人  さん! 後輩  痛たたた! タイムタイムタイム! 先輩  どうした? 後輩  背中が! 痛くないんですか? 先輩  ああ、俺のとこ、何だろ、毛布みたいなのがあるから。 後輩  毛布? 先輩  入る前に拾ったみたい。 後輩  何なんでしょうね。僕ら、一人ズボン履かないで、一人毛布     引きずって歩いてて、周りの人間何も言わなかったんですか     ね。 先輩  言えなかったんじゃないかな。 後輩  毛布、余裕あったらちょっと伸ばしてもらっていいですか。 先輩  じゃあ、俺、体浮かしてるからその間に引っ張って。 後輩  はい。 先輩  いくよ。はい。 後輩  あれ? 引っかかってますね。 先輩  早く! 後輩  待って下さい。片手しか使えないんで。 先輩  まだ? 早く! 後輩  はい。いいすよ。 先輩  ふう。 後輩  ああ、これ、ちょっとましですね。 先輩  これでも、助けられたとしても、外に出るの恥ずかしいよ     な。何て言い訳すればいいんだか。 後輩  誰かが襲って来て、逃げようとして、この中に隠れたとか。 先輩  会社には知られたくないな。 後輩  ですね。 先輩  数時間前の自分に言いたいよ。「頑張るな」って。 後輩  それ、東京ラブストーリーの中で出てきた台詞に似てます     ね。 先輩  あったか? そんなの。 後輩  ええ。 先輩  頑張るなって? 後輩  いえ、そこは違いますけど。 先輩  数時間前の自分に言いたいって? 後輩  数時間前も違いますけど。 先輩  じゃあ全然違うじゃないか。 後輩  何かあったんですって。 先輩  そっか。…あのシーン泣いた? 後輩  どこですか? 先輩  ほら、リカがさ、いなくなる直前にさ、カンチが追いかけよ     うとしたら、有森が織田裕二の家に来てさ、行かないでっ     て。 後輩  ああ、ありましたね。 先輩  それでさ、ホントは織田裕二はリカのとこに行きたかったん     だけど、関口の手前我慢してさ、でもカンチは鈴木保奈美の     ことが好きでさ。 後輩  あの、何で芸名と役名入り乱れてるんですか。 先輩  でさ、大泣きするシーンあったろ。 後輩  ああ、ありましたね。 先輩  織田裕二、いいなあ。「振り返れば奴がいる」も見てたな     あ。 後輩  鹿賀丈史、好きでした。 先輩  ああ、中川部長な。 後輩  頼りないのが。ほら、中村あずさと佐藤B作と三人のシーン     あったでしょ。 先輩  ああ、あったあった。エレベーターに閉じ込められる奴。 後輩  そうそう。      間。 後輩  普通、エレベーターですよね。 先輩  …。      間。 先輩  吉川さん、何色だった? 後輩  緑。 先輩  みどり? 後輩  あ。 先輩  どうした? 後輩  え? ああ、いえ。飲んでたときに、ちょっとエスカレー     ターに近い話題で喋ってたの思い出して。 先輩  何何? 後輩  動く歩道ってあるじゃないですか。 先輩  ああ。 後輩  誰かが言い間違えて、「歩く歩道」って言って。それ聞いて     僕も先輩も十分位ゲラゲラ笑ってて。 先輩  うん。 後輩  何でそんな笑ってたのかなって。今考えたら全然面白くない     し。      間。 先輩  え? それだけ? こうなったいきさつとかそういう話じゃ     ないの? てか、さっきから何か食べてない? 後輩  ハンバーガーです。 先輩  あそう。 後輩  先輩もどうですか? 先輩  さっきあれだけ食べたし。てか、何で持ってるの? 鞄ない     のにハンバーガーだけ…。 後輩  シェーキもありますよ。 先輩  ありがと。いや、何で? ま、いいや。あ、やっぱり駄目。 後輩  何言ってるんですか、ひとりで。 先輩  トイレ我慢してるの思い出した。 後輩  ああ。そうでしたね。      間。 先輩  なあ。 後輩  はい? 先輩  今思ったんだけどさ。 後輩  ええ。 先輩  このエスカレーター。止まってるから、入り込めたんだよな     あ。動いたらやばくない? 後輩  やばいですね。首もげて、下手すれば死にますよ。 先輩  首もげたら、下手しなくても死ぬだろ。 後輩  ふーん。      ヒールの足音。 先輩  ふーんって…。何とか自力で脱出しないと。 後輩  あれ? 誰か来ましたよ。明かりが点きました。 先輩  え? 助かった。おおーい! 後輩  シッ! 先輩  何だよ。 後輩  様子が変ですよ。 先輩  見えるの? 何? 変って。 後輩  バット持ってます。誰か探してるみたいで。 先輩  喧嘩でもあったのかな。誰かここに逃げて来たのかな。足音     しなかったけど。 後輩  女の人ですね。 先輩  最近の女は怖いなあ。 後輩  …。 先輩  どした? 後輩  スカートの中が見えます。 先輩  覗いてる場合か。もうちょっとそっち行って。 後輩  緑のパンツです。 先輩  吉川さんだ。何でバット持ってんの? 後輩  誰かを追って来たんじゃないですか。 先輩  誰を?      間。 先輩  俺? 冗談だろ。取り敢えず気づかれないようにしないと。 後輩  先輩。 先輩  静かにしろって。 後輩  目が合ってます。 先輩  野球だよ。俺らがいないから探しに来てくれたんだよ。 後輩  すいません。思い出しました。やっぱり僕ら逃げてたんです     よ。吉川さんから。 先輩  おまえがちゃんとフォローしてくれないから。 後輩  僕のせいですか?      間。 後輩  動かないですね。 先輩  開けられないんじゃないか? だったらこのままじっと助け     が来るの待ってたら。 後輩  何言ってるんですか。エスカレーター動かされたらどうする     んですか! 先輩  何で聞こえるように言うんだよ! 後輩  ああ! 吉川さん? 何処? 先輩  吉川さん、は、話し合おう。な。 後輩  待って! 動かさないで! 動かさないで! 先輩  違うんだ! あれは、社長の命令で仕方なかったんだ! 吉     川さん、野球だろ! な!      都会の深夜にフェイドアウトしていく二人の声。終わり。