演劇を初めてから劇団旗揚まで
■1992年
4月 中野守、龍谷大学劇団未踏座入部
■1993年
6月 劇団未踏座夏公演で中野、処女作
ナチス=ド=ドイツ の作・演出をつとめる。
於:龍谷大学学友会館3階大ホール
大学内のホール。入場料を徴収してはいけなかったり、休日は閉館だったり、いろいろ不便もあったが、今思えばかなり贅沢なホール。
■1994年
6月 劇団未踏座夏公演
ブダ 中野が脚本・演出
於:龍谷大学学友会館3階大ホール
観客動員数:330人。何故かこの時の記録が長いこと抜けずにいる。
12月 中野、未踏座を引退するもこの後、『振替平日』までの3本は劇団未踏座名義で上演。
■1995年
4月 村川が未踏座に入部
10月 劇団未踏座有志公演
12 -twelv- 中野が作・演出
於:龍谷大学学友会館3階大ホール
村川謙一出演
■1996年
10月 劇団未踏座有志公演
ケ=セラ=セラ 中野が作・演出
於:龍谷大学学友会館3階大ホール
村川謙一出演
■1997年
10月 劇団未踏座有志公演
振替平日 中野が作・演出
於:龍谷大学学友会館3階大ホール
大道具製作所の社員が勤務時間後、工場のすぐ横に下宿している男の部屋でくつろいでいる話。
■1998年
『振替平日』が「早稲田大学演劇博物館創立70周年記念戯曲賞」入選
しかし、この時、中野は就職したばかりで、演劇から足を洗おうとしていたため、祝ってくれる人が殆どいなかった。
■2000年
4月 The Cloud Project入団、その後、副座長になるがこれと言った仕事はなかった。
10月 The Cloud Project第4回公演
パレス欲望の闇に恍惚と光る金の瞳銀の瞳203号室の住人たち
於:スタジオヴァリエ
初めての有料公演。
加藤祐一がこの公演を客席で見ていて、次回参加したいと言ってきた。中野守は「何か調子の良さそうな苦手なタイプの奴だな」と思った。
■2001年
6月 The Cloud Project第6回公演
真実は笑わない
於:スタジオヴァリエ
父親が脱サラして海賊になり、家族を巻き込む話。
この時、中野劇団旗揚メンバーの加藤祐一、佐藤喜昭(休)が出演
公演終了後、The Cloud Project脱退
■ 2002年
10月 旗揚準備委員会発足
委員会メンバー:中野、加藤、白木ぽん太
劇団名を「中野劇団」に決定
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